年表
宮殿の建物・殿内・調度・衣装が現れた年・広まった年・消えた年と、宮殿の造営・焼失・再建・改装を、時代ごとに並べています。分類と時代で絞り込めます。部品の年は、アトリエの「時代に合わない物」の札と同じ表から作っています。
- 部品の年の行
- 115
- 種類
- 97
- 宮殿のできごと
- 18
- できごと宮殿の造営・焼失・再建・改装と、寸法と冠服を定めた本
- 現れたはじめて現れた年
- 広まった宮中でよく使われるようになった年
- 消えた・減った消えた・少なくなった年
位の札が付いた行は、その位の住まいと冠服に効くできごとです。年は西暦で、紀元前は「前」を付けています。
分類
時代
169 行
漢
前 206–220高い台の上の殿、床に座る暮らし。曲裾・直裾の深衣
この時代に始まる物はありません(前の時代から続く物は、時代のページで見られます)。
唐
618–907大明宮の広い殿庭。高髻・披帛・胸高の裙、男装の宮女
この時代に始まる物はありません(前の時代から続く物は、時代のページで見られます)。
宋
960–1279椅子と卓の暮らし。后は龍鳳冠に博鬢と真珠の面花、侍女は花冠
- 1100現れた交椅宋(1100)〜清の終わり(1912)
- 1103できごと『営造法式』(宋)。材分制で建物の寸法を決める
元
1271–1368モンゴルの宮廷。后の高い罟罟冠と紅い袍
この時代に始まる物はありません(前の時代から続く物は、時代のページで見られます)。
明
1368–1644紫禁城(1420)。鳳冠・黄の大衫と深青の霞帔、襖裙と馬面裙。斗栱が大きく、彩画は旋子が中心
清前期
1644–1736明の紫禁城を使い直す。坤寧宮を満洲式に(1655)、『工程做法』(1734)。満洲の袍、低い小両把頭
- 1644できごと清が北京に入る
- 1644現れた金龍和璽彩画彩画清で定まる。明の殿に描かない。中和殿・乾清宮
- 1644現れた皇后の儀輿(8 人で担ぐ・2 段の屋根)輿・轎(肩輿・暖轎・儀輿)明黄の漆。担ぎ手 8 人(輿服志)
- 1644現れた抄手遊廊廊垂花門の脇から院の隅を回って廂房・正房へ続く廊。四合院と宮の奥の院(付録 A §I-2。現れた年は清の始めとして推定)
- 1644現れた妃・嬪の儀輿(4 人で担ぐ)輿・轎(肩輿・暖轎・儀輿)金黄の漆、銅の頂に金(輿服志)
- 1644現れた妃・嬪の翟輿(8 人で担ぐ)輿・轎(肩輿・暖轎・儀輿)金黄の漆。皇貴妃は明黄(輿服志)
- 1644現れた龍鳳和璽彩画彩画承乾宮の前殿と後殿で確かめた
- 1644消えた・減った明の屋根の反り(挙を緩く)屋根の型明は清より挙架がやや緩く、推山が小さい(推定)。清の型は 1644 以後
清中期
1736–1851乾隆の整備。『皇朝礼器図式』(1759)で冠服が定まる。乾清宮の再建(1798)。両把頭と扁方、紫檀に彫りの調度
- 1736現れたガラスの窓(支摘窓の下の段)建具(隔扇・檻窓・支摘窓・窓紙とガラス)乾隆期から宮中で使い始め、晩清に寝宮へ(年は要確認)
- 1736現れた支摘窓(宮殿の寝宮)建具(隔扇・檻窓・支摘窓・窓紙とガラス)民居では明から。宮殿の寝宮に広く入るのは晩清(儲秀宮の 1884 年の大修)
- 1736現れた蘇式彩画(宮殿)彩画園では乾隆から、寝宮は晩清(儲秀宮、1884)
- 1736現れた冰箱(冰鑑)冰箱乾隆の宮中の木と掐絲琺瑯の冰箱。夏に氷を入れる
- 1736広まった自鳴鐘西洋の歯車の置き時計。康熙に作坊、乾隆に広州と西洋からの献上が多い
- 1736広まった多宝格多宝格・博古架段違いの格に器を置く。雍正・乾隆の宮で広まる
- 1736広まった碧紗櫥碧紗櫥・内の隔扇隔扇を柱の間いっぱいに並べた仕切り
- 1736広まった宝座宝座と地平宮の主の席。妃の宮は三屏、皇后・皇太后は五屏(推定)
清後期
1851–1912咸豊〜宣統。宮の連結(1884)、ガラスの窓と支摘窓、蘇式彩画の寝宮。架子頭から大拉翅へ、縁飾りの広い氅衣
- 1859できごと長春宮の碧紗櫥にガラスを入れる
- 1859現れた2 つの宮を穿堂殿でつなぐ(4 つの院の続き)一宮儲秀宮の 1884 年の大修で、翊坤宮の後殿を通り抜けの殿に改めた(付録 A §J-2)。長春宮と太極殿の連結は 1859 ごろ(推定。付録 A §L)。院のプリセット yigong-1884-linked(担当 S2)
- 1860広まったガラスの窓(支摘窓の下の段)建具(隔扇・檻窓・支摘窓・窓紙とガラス)乾隆期から宮中で使い始め、晩清に寝宮へ(年は要確認)
- 1867できごと体元殿の隔扇にガラスを入れる
- 1884できごと儲秀宮の大修と翊坤宮との連結。支摘窓・蘇式彩画の寝宮
- 1884広まった2 つの宮を穿堂殿でつなぐ(4 つの院の続き)一宮儲秀宮の 1884 年の大修で、翊坤宮の後殿を通り抜けの殿に改めた(付録 A §J-2)。長春宮と太極殿の連結は 1859 ごろ(推定。付録 A §L)。院のプリセット yigong-1884-linked(担当 S2)
- 1884広まった支摘窓(宮殿の寝宮)建具(隔扇・檻窓・支摘窓・窓紙とガラス)民居では明から。宮殿の寝宮に広く入るのは晩清(儲秀宮の 1884 年の大修)
- 1884広まった蘇式彩画(宮殿)彩画園では乾隆から、寝宮は晩清(儲秀宮、1884)