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漢
前 206–220Han高い台の上の殿、床に座る暮らし。曲裾・直裾の深衣
前漢は長安、後漢は洛陽に宮を置いた時代。宮殿は高い土の台の上に殿を建てる形で、人は床に敷物を敷いて膝を折って座り、ひじ掛けの几・屏風・帳で座を囲った。后妃の位は、前漢は皇后の下に昭儀・婕妤など十数の等があり、後漢は皇后・貴人・美人・宮人・采女と簡素になる。服は体に巻きつける曲裾の深衣と、まっすぐ下ろす直裾。当時の姿を伝えるのは墓の侍女の陶俑と帛画で、肖像画は残らない。このサイトでは時代の要点と取り違えやすい所をまとめ、建物の式は作らない。参考資料には、侍女の俑と、望楼・井戸の明器(副葬の模型)を載せる。
唐
618–907Tang大明宮の広い殿庭。高髻・披帛・胸高の裙、男装の宮女
長安の太極宮・大明宮を中心にした時代。殿の前に広い殿庭を取り、屋根の反りは明・清より緩く、軒は深い。床に座る暮らしから椅子へ移る途中で、宴の絵には長い卓を囲んで腰掛ける姿も見える。后妃は皇后の下に四夫人・九嬪・婕妤・美人・才人・宝林・御女・采女が並び、開元年間に玄宗が三妃に改め、のちに貴妃を戻した。女性は胸高に締めた長い裙に短い上衣と半臂、肩から腕に長い披帛を垂らし、髪を高く結い上げる。宮女には男の服を着た姿が多い。
宋
960–1279Song椅子と卓の暮らし。后は龍鳳冠に博鬢と真珠の面花、侍女は花冠
開封(汴京)、南宋は臨安(杭州)に宮を置いた時代。宮殿は唐より小さい。椅子と卓の暮らしが定まり、后の坐像は背の高い椅子に座って足台に足を載せる。后の正装は、深い青に雉(翟)の模様の褘衣に、龍と鳳と花を飾った大きな冠、冠の左右に垂れる板(博鬢)、額と頬に真珠の面花。侍女は高い花冠に男物の丸首の袍。ふだんの女性は前の開いた長い上着(褙子)に胸当て、細い襞の裙。建物の寸法は『営造法式』(1103)が材を単位に決めた。このサイトでは時代の要点と取り違えやすい所をまとめる。
この時代の種類 1 種
元
1271–1368Yuanモンゴルの宮廷。后の高い罟罟冠と紅い袍
モンゴルの王朝で、大都(今の北京)に宮を置いた時代。宮中にはモンゴルの天幕の調度も入った。后は細長く高い冠(罟罟冠)に、紅い袍と金の織物の縁で描かれる(国立故宮博物院〈台北〉の元の后の半身像)。後宮ものの舞台としてはまれで、このサイトでは宋と明の間をつなぐ時代として、要点と取り違えやすい所をまとめる。
この時代の種類 1 種
明
1368–1644Ming紫禁城(1420)。鳳冠・黄の大衫と深青の霞帔、襖裙と馬面裙。斗栱が大きく、彩画は旋子が中心
南京、ついで北京に都を置いた時代。紫禁城は 1406 年に着工し 1420 年にできた。いまの紫禁城の配置(前朝の三大殿、内廷の後三宮と東西六宮、北の御花園)は明のもので、建物の多くは清の建て直し。明の皇帝は乾清宮、皇后は坤寧宮を寝宮にした。斗栱は清より大きく数が少なく、彩画は旋子が中心。家具は黄花梨の細い部材の明式で、明末(16 世紀後半〜17 世紀前半)が盛期。后の礼服は九龍四鳳冠と深青の翟衣、常服は黄の大衫と深青の霞帔、ふだんの女性は襖と馬面裙に鬏髻。宮人(宮女)は紫の丸首に烏紗帽。
この時代の種類 88 種
清前期
1644–1736Early Qing明の紫禁城を使い直す。坤寧宮を満洲式に(1655)、『工程做法』(1734)。満洲の袍、低い小両把頭
1644 年に清が北京に入ってから、乾隆の前(1736)まで。清は満洲人の王朝で、明の紫禁城をそのまま使い、焼けた殿を建て直した。坤寧宮は 1655 年に盛京(瀋陽)の宮にならって満洲式に改め、入口を東の次間に移し、板の扉と直棂の吊り窓、炕と竈の祭祀の間にした。太和殿の再建(1695–1697)で外朝の姿が今と同じになる。雍正帝は 1723 年ごろ養心殿を寝宮にし、1734 年に『工程做法』で建物の寸法を斗口の倍数で定めた。后妃の位は康熙以後、皇后 1・皇貴妃 1・貴妃 2・妃 4・嬪 6、貴人・常在・答応は数を定めない形になった。
この時代の種類 95 種
清中期
1736–1851Mid Qing乾隆の整備。『皇朝礼器図式』(1759)で冠服が定まる。乾清宮の再建(1798)。両把頭と扁方、紫檀に彫りの調度
乾隆元年(1736)から咸豊の前(1851)まで。宮中の冠服・宮規・経費が書き物で定まった時代で、漫画家先生が「清の後宮」と聞いて思い浮かべる形の多くはここから。1741 年に東西十二宮の名を定め、『国朝宮史』に位ごとの宮女の数と経費を書き、1759 年の『皇朝礼器図式』で皇太后から嬪までの朝服と吉服を図と文で定めた。乾清宮は 1798 年に再建され、いまの姿になる。調度は紫檀に彫りを尽くした清式と掐絲琺瑯の陳設、通景画が盛んになり、宮中でガラスを使い始めた。髪は扁方を横に渡した両把頭。
この時代の種類 96 種
清後期
1851–1912Late Qing咸豊〜宣統。宮の連結(1884)、ガラスの窓と支摘窓、蘇式彩画の寝宮。架子頭から大拉翅へ、縁飾りの広い氅衣
咸豊元年(1851)から宣統帝の退位(1912 年 2 月 12 日)まで。咸豊の妃で、のちに皇太后になった慈禧(1835–1908)が長く実権を持った。後宮の殿は大きく改装され、1859 年に長春宮の碧紗櫥、1867 年に体元殿の隔扇にガラスが入り、1884 年には儲秀宮と翊坤宮をつないで 4 つの院の続きにし、支摘窓と蘇式彩画の寝宮にした。髪は架子頭から、同治・光緒の大拉翅へ。便服の氅衣は袖口と縁に幅の広い飾りを何重にも付け、花盆底の台が高くなる。退位のあとも 1924 年 11 月まで、溥儀の小さな朝廷が内廷に住んだ。
この時代の種類 96 種