PDパブリックドメイン一つの宮の顔になる殿。紫禁城の東西六宮は 1420 年(明の永楽)にでき、どの宮も前の院の北に正殿を南向きに置いた。清の後宮の型では、正面 5 間・奥行 3 間、屋根は黄琉璃の単檐歇山、軒下に五踩の斗栱、梁には龍鳳和璽の彩画を描く。前には一段低い月台が張り出し、香炉や銅の鶴を並べる。嬪以上の主(主位)がここに住み、明間で礼を受ける。いま残る殿の多くは清の修理を経た姿で、明と清で配置はほぼ同じだが、斗栱の大きさと彩画の型が違う。
妃・1420–1912
東西六宮の前殿の型。単檐歇山の黄琉璃、走獣 5、五踩の斗栱、月台と垂帯踏跺。明間と次間に双交四椀の隔扇。
元にした図・実物: 工程做法 巻 2(九檩歇山の比)・付録 A §J-2
アトリエで開く皇后・1420–1912
格のいちばん高い屋根。重檐廡殿の黄琉璃、上の檐に七踩・下の檐に五踩、走獣 9。廡殿は推山で正脊が長く、隅棟が上で妻側へ寄る。下の檐の内に周りの廊が回る。
元にした図・実物: 工程做法 巻 1(九檩廡殿)・付録 A §C-1・§C-3・§J-1
アトリエで開く皇貴妃・1420–1912
単檐廡殿は単檐歇山より格が 1 つ上。四方へ流れる面と、推山で外へ曲がる 4 本の垂脊。妻に三角の山花が無い。
元にした図・実物: 付録 A §C-1・§C-3
アトリエで開く皇后・1420–1912
歇山に下の檐(腰檐)を回して格を 1 つ上げた殿。下の檐の上の端は上の階の壁に潜り、際に囲脊が回る。
元にした図・実物: 付録 A §C-1
アトリエで開く皇后・1420–1912
正方形の平面の 4 つの面を頂の一点に集め、宝頂で納めた殿。前後の大殿の間に置く小さな殿の型。
元にした図・実物: 付録 A §C-1
アトリエで開く妃・1420–1644
明の後宮の前殿の型。清の正殿と同じ間口で、斗栱が大きく(斗口に対して 1.2 倍)、平身科が少ない(明間 2・次間 1)。屋根の反りが緩く(挙を 0.05 下げる)、隅の跳ね上がりも小さい。柱の頂のすぼまりが強く、雀替が短い。旋子彩画。
元にした図・実物: 付録 A §K-1(明と清の違い。アトリエでの扱いの行)
アトリエで開く写り方・資料の種類ごとに、一覧で見られます。
PDパブリックドメイン絵(軸・巻・冊)
北宋の宮廷画家(作者の名は無い)
北宋(11 世紀〜12 世紀前半)(絹本着色)・Wikimedia Commons
CC0CC0版画・刊本
1736–95・Cleveland Museum of Art
CC0CC0版画・刊本
1736 年〜1795 年・The Met
PDパブリックドメイン写真
Felice Beato
1860 年(撮影)・Wikimedia Commons
CC0CC0写真
Felice Beato
1860 年(撮影)・Wikimedia Commons
CC0CC0写真
Felice Beato
1860 年(撮影)・Wikimedia Commons
PDパブリックドメイン本の図版
Ernst Boerschmann
1926 年(Wasmuth 刊。11〜20 千部。初版 1923)・Wikimedia Commons
PDパブリックドメイン本の図版
Ernst Boerschmann
1926 年(Wasmuth 刊。11〜20 千部。初版 1923)・Wikimedia Commons
PDパブリックドメイン本の図版
Ernst Boerschmann
1926 年(Wasmuth 刊。11〜20 千部。初版 1923)・Wikimedia Commons
PDパブリックドメイン本の図版
Ernst Boerschmann
1926 年(Wasmuth 刊。11〜20 千部。初版 1923)・Wikimedia Commons